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今やベーカリーの定番商品の一つにもなっている「塩パン」。その生みの親となったのが、愛媛県の港町にあるベーカリー「パン・メゾン」だ。店の次男、平田克武さん(43)は、「父が作った塩パンを世界中の人に食べてほしい」と約10年務めた大手企業を退職し、東京で姉妹店をオープン。店は外国人観光客も多く訪れる、行列のできる大人気店になっている。
「塩パンお一人さま20個まで」。ポップが踊るショーケースに並ぶ、あんバター、ハムたまご、塩メロンパン、明太塩パン…。甘味からおかずまで、さまざまな食材が組み合わされた約10種類の塩パンとにらめっこするが、結局決めきれずに〝大人買い〟。ショーケースからはパンが飛ぶように売れていくが、負けず劣らずのスピードで焼き上がったパンが厨房から運び込まれ、手際よく陳列されていく。
「ノウハウを積み上げて、スタッフが頑張ってくれていますが、最初の頃はもうへとへとで、地獄のようでした」と笑うのは、浅草、銀座、新宿と東京都内に3店舗ある塩パン専門店「塩パン屋パン・メゾン」の代表・平田克武さんだ。
平田さんによると、塩パンが誕生したのは約20年前。愛媛県西部の八幡浜市に祖父が起こしたパン工場をもとに、父の巳登志さん(71)が開いたベーカリー「パン・メゾン」で、食欲が落ちる夏にも食べてもらえるパンを作ろうと考案された。生地にバターを載せて巻き、焼く前に塩を振りかける。シンプルな工程だが、汗をかく夏場にミネラル補給ができ、片手で食べられることも相まって、近くの港の魚市場で働く人や高校生たちに人気に。評判は全国へ広がり、1日2000個ほども売れるようになった。
「パン屋では1日100個売れたら大ヒット商品。八幡浜の田舎では天文学的な数字だった」と平田さん。全国から訪ねてくるパン職人に、巳登志さんは作り方を隠さず教えたという。
兄の将武さん(45)がパン職人を目指し修業していたこともあり、「家族に1人くらいパン屋じゃない人間がいてもいいんじゃないか」と平田さんは東京の大学に進学し、大手携帯電話会社に就職した。しかし、実家の塩パンがメディアで取り上げられるごとに、愛媛でしか食べられない焼きたてのパンをもっと多くの人に食べてもらいたい、という思いがふつふつと湧いてきた。
「東京で塩パン屋をやる」。意を決し巳登志さんに電話で相談すると、「そんなに甘くはないぞ」との言葉が返ってきた。それでも、家族会議のため愛媛に帰ると、巳登志さんは必要な設備などを書いた手書きの図面を開いて楽しそうに待っていたという。職場に退職を伝えると驚かれたが、理由を話すと「ぜひ頑張ってくれ」と背中を押された。実家で1年修業し平成30年に浅草で姉妹店1号店をオープンすると、家族も総出で駆け付けた。
パン・メゾンの塩パンは、表面はサクッと、中はもちっとしており、塩気とバターの甘さの組み合わせが絶妙だ。常連客をはじめ、近年塩パンがブームという韓国からも多くの客が訪れ、店の前で記念撮影していく姿がみられる。
家族で育ててきた塩パンを、世界の塩パンに。平田さんは「まずは目の前のお客さまを大切にしたい」と爽やかな笑顔を見せ、パンの香りと熱気が漂う厨房へと戻っていった。