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厳しく冷え込んだ夜だった。熊本市中心部の商業施設の屋上で1月6日、当時中学3年の男子生徒が大勢の中学生らに取り囲まれた。相手の少年から全身を殴られ、蹴られ、「死ね」とはやし立てる声が周囲から起こった。血だらけで帰宅した息子を見て母親(51)は目を疑い、救急車で運ばれ入院した。2週間のけがと診断された暴行の発端は、知人同士のトラブルだったという。
暴行の翌日、母親は加害生徒らのインスタグラムの投稿をたどった。彼らが過去にも同じ暴行を繰り返していた情報を得て、警察は「頼れない」と感じた。全員を自らの力で特定しようと決めた息子は退院後も眠れない日々が続いた。「彼らを苦しめたい」という母親の思いは日を追うごとに大きくなった。
同年代の子を持つ母親を名乗る複数のアカウントが「許せない」と同調し、暴露系アカウント「DEATHDOL NOTE」に通報した。これにより状況が一変し、SNS上で加害生徒らの情報が拡散された。学校や警察が動かない中、被害者側は動画を晒してでも事態を動かそうとしたのだ。
情報学研究者の指摘を借りれば、SNSは民衆に「告発と私的制裁という武器」を与えた。フランス革命がマスケット銃で貴族と民衆の力関係を変えたように、テクノロジーの変化が社会の権力構造を変える。ただし、その武器には極めてシビアなジレンマが伴う。
「こういう活動をしないと隠蔽は続く。ある程度の二次被害は仕方ないと思う」という言葉が体現するように、私的制裁には無辜の巻き添えや冤罪のリスクがある。それはそれで暴力であり、報復の連鎖を生む。フランス革命が無辜の人々を殺戮したように、正義の名の下で失われるものがある。真面目に向き合う価値のある難題だ。