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日本にコンビニエンスストアの業態を持ち込み、流通業界や社会のあり方を根本から変えたパイオニアだった。業界の常識にとらわれない斬新な発想で、セブン&アイ・ホールディングスを世界的企業に成長させたのは、鈴木氏の手腕によるところが大きい。それだけに、2016年5月に人事を巡る混乱で会長兼最高経営責任者(CEO)を電撃辞任し、道半ばで表舞台を去ったことが惜しまれる。
新卒で入社した東京出版販売(現トーハン)を経て、1963年に中途入社したイトーヨーカ堂で、創業経営者の伊藤雅俊氏の片腕として頭角を現した。伊藤氏が総会屋事件で経営の一線から退いた1992年にイトーヨーカ堂社長に昇格。2016年のグループトップ退任まで、イトーヨーカ堂やセブン-イレブン・ジャパンを中心にグループ全体の経営を担った。
発足当初はライセンスを付与されていた米サウスランド社(現セブン-イレブン・インク)を完全子会社化するなど、国内外の店舗数や国内の1店当たりの1日の平均売上高(日販)でも追随を許さず、業界のトップを走り続けている。
その自信を裏付けたのは、退任直前まで続けた新商品の試食に代表される顧客目線を忘れない姿勢だった。コンビニ主導での初の銀行業参入も、高付加価値型のプライベートブランド商品(PB)「セブン・プレミアム」を出す際も、周囲が反対する中、顧客目線の緻密な計算に基づき、成功を収めてきた。
25日の記者会見で日本商工会議所の小林健会頭は「(コンビニという)米国のモデルを持ってきて、日本流にしていった。最初に作った功績は大きい」と鈴木氏を惜しんだ。
ただ、強烈なカリスマ性を持った鈴木氏が長年にわたり事実上のトップに君臨し続け、後継者が育てられなかったのも事実だった。
16年の人事をめぐる混乱では、自らの提案に社内外の一部取締役、長年仕えた創業家の伊藤家からもノーを突きつけられる形となった。予定していた決算会見をキャンセルして臨んだ退任会見の終了後、報道陣にもみくちゃにされながら退場していった。どこか寂しい後ろ姿からは、いつものカリスマ性を感じられなかった。
会長兼CEO退任後の20年7月~8月に本紙連載の「話の肖像画」にも登場。新型コロナウイルス禍の中でも「世の中が変化することとは、多くのチャンスが生まれてくることなんだよ」と述べ、コロナ禍後の新ビジネスに思いをはせていた。一方で、退任会見の真相については「退任が良かったか悪かったかは、歴史がきちんと結論を出す」などと述べるにとどめていた。